談志さんが亡くなられました。ある個人に対しての想いを軽かろうが重かろうが書き記すことは趣味に反することではないので。ひとつ。
映画なら黒澤、アニメなら手塚、落語なら。そういったことにこだわっていたのではないかと思います。落語に縛られてなんて言っていますが、どう見ても自ら縛っていたように見えます。もっと詳しく掘り下げたい話ですが、気分がのらないので次。
落語のdvdのパッケージをみると、写真があって、名前があって、演目がある。この形は、それがシリーズ物であれば、桂だろうがなんとか亭であろうが、決められた場所に同じサイズで収まっている。談志さんもそう。個人的には、その辺に、文化の魅力をすごく感じます。わかりにくいか。説明不足ですみません。次。
巨匠。巨匠が生まれる時代の精神からそれを引きずりながらも自分たちを引いて見つめる目も備えた時代の精神が生まれ、そこからそれら巨星を眺めて少しでも近づこうとする受け身の時代の精神が生まれる。
最後の時代のいいのか悪いのかわからない点は、すべての技は、平等にコンテンツとして認識してしまう可能性があることです。そして自分自身もすごいものになりたいと思いつつも、そのコンテンツの一つでしかないと気付いている点です。
全体をみると混沌としていて、迷っているように見えますが、実際は、えらく簡素でさっぱりしています。
巨匠の生まれた時代は、その逆で、全体図は、非常に簡単に描くことが出来ますが、巨匠個人の混沌具合が今の全体像を凌駕しています。
どちらがよいのかはわかりませんが、昔のことは懐かしむだけのものではないと思いますね。はい。
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